花巻市の繁華街双葉町に、寺というにはいささか異風な建物がある。今回は松庵寺を紹介しよう。外観は石造り、屋根にはインド、ネパール等の寺院にあるパゴダ(仏塔)が立ち、堂内はタイル張りの床に椅子が並ぶ。天井、内陣の奥には音響設備が設置され、法要はもとより葬儀式、結婚式にはBGMが流れ、荘厳なムードを醸しだす近代的寺院だ。
この寺は昔、真言宗の学寮だったが念仏行脚の僧が足を留め、念仏の教えを広めた。後の永禄5年(1560)広隆寺5世良縁上人を開山に念仏庵となった。
また慶長5年(1600)花巻城夜討ちの難の折り、当時住職の存泰和尚が止宿中の津軽浪人3名と共に城を守った功によって、城代北松斎公から寺名に「松」の一字をもらい、「松庵寺」と呼ぶことになったという。
宝暦、天明、天保とたび重なる飢饉、疫病に苦しむ庶民たちに奉行所の蔵を開放させ、施粥釜(せがゆがま)を施し、このお助け粥により多くの民の命を救うことができたが、また飢饉のために尊い命を失った者も多かった。これらの死者は当寺に埋葬され、年忌の折りには盛大な供養を営んだという。今でも門前には24基の大小さまざまな供養石が建ち、当時の尽力が伺える。その後も庶民の暮らしは貧しく、間引(まびき)等が平然と行われたが、仏教の示す生命の尊厳を強調し、衆子遊魂(しゅうしゆうこん)の碑を建て、水子の霊を弔った。このように大衆と共にあった松庵寺は、昔から庶民の拠り所となったきた。
またこの寺は、詩人高村光太郎ゆかりの寺で、光太郎が宮沢賢治を慕って花巻に疎開していた時、妻智恵子さんや父母の法要を行い、その菩提を弔った歌詞も残っている。今も多く残る寺宝には、小野道風の書や名匠高橋勘次郎翁寿牌、勘次郎作の如意(にょい=僧侶の持ち物の一つ)、芭蕉の句碑等もある。
浄土宗新聞平成6年3月号より記載
寺院番号 | 04-021 |
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寺号 | 松庵寺 |
所在地 | 〒025-0085 岩手県花巻市双葉町6‐4 |
TEL | 0198-23-3033 |
FAX | 0198-24-7949 |