正念寺
わが子の供養に念仏堂 藩主の悲哀今に伝える

新幹線開通で脚光を浴びるみちのく秋田。今月はその南部に位置する亀田藩の城下町・岩城(岩城)町に正念寺を訪ねた。

寛永3年(1616年)夏、一体の観音菩薩像をかついで訪れた僧貞残(ていざん)によって創建された正念寺にはこんな縁起が伝わる。
2代目藩主・岩城重隆は、文武両道に秀でる子息・景隆(かげたか)を頼もしく思い、将来を嘱望していた。が、その優秀さの反面、素行の悪さが目立ち、ついに逆鱗に触れて勘当、天和元年(1681年)、近くの沢にある隠居所に幽閉してしまう。
星霜つもり15年。家臣からの赦免の声も高く、ようやくおさまりつつあった父重隆は元禄9年(1696年)春、許しを与えた。しかし、赦免を目前にした4月18日、景隆は急病のため逝去したのである。その亡骸(なきがら)がこの正念寺に葬られ、菩提が弔われた。
悲嘆にくれた重隆は、景隆夫人の遺言もあり、わが子の供養にと念仏堂を建立。さらに双盤(そうばん)や寺領を寄進するなど、正念寺は藩から大切にされたという。

縁の多い境内には景隆夫妻の墓、そして夫人が篤く信仰していた弁才天を祀る弁天堂があり、景隆の命日前後には追悼会が、また8月7日には弁財天祭が、景隆追慕の念が深い町の人々が中心となって、毎年行われている。

明治14年の大火で、当時の本堂や念仏堂などは消失したが、運び出された双盤と景隆夫妻の位牌、貞残が伝えた一光三尊如来(いっこうさんぞんにょらい=阿弥陀仏、観音・勢至両菩薩を1つの光背に祀る)のうちの一体である観音菩薩像(町指定文化財)は難を逃れ、今も往時をしのぶことができる。

【交通】JR羽後亀田駅からタクシーで5分。

(浄土宗新聞 平成9年8月号より)

寺院情報
寺院番号 05-015
山号 専住山
院号 巧徳院
寺号 正念寺
所在地 〒018-1217 秋田県由利本荘市岩城亀田字今町15番地
TEL 0184-72-2069
FAX 01847-2-2069