善導寺
奥羽の念仏教化を語る寺〜今、赤子地蔵は子供の成長を〜
最上川の河口にある山形県酒田市は日本海の海運の拠点として古くから発展した。
今回はその酒田で500年にわたる念仏教化の歴史を持つ善導寺を紹介しよう。
寺の開創年は不明だが、初代岌徹(ぎゅうてつ)上人が文亀元年(1501)に亡くなったとの記録が残ることから明応年間と推定される。岌徹上人は(総本山)知恩院から奥羽の念仏教化のためにおもむいたと伝えられるが、酒田には同様に知恩院の僧によって、林昌寺(1532年・岌源上人開創)や浄徳寺(1542年・法誉上人開創)がほぼ同時期に開創されている。寺は移転をくりかえし、現在の地に移ったのは明治21年のこと。当時は町はずれで付近に刑場跡があった。最後の処刑は幕末で、官軍と戦った庄内三烈士−天野豊三郎、佐藤桃太郎、関口有三郎だったという。刑場跡には受刑者の霊をとむらうお地蔵さまがあり首切り地蔵と呼ばれていたが、明治35年、境内に移され、現在は赤子(せきし)地蔵と名づけられ、子供たちの成長を願うお地蔵さまとして信仰を集めている。
堂内には善光寺分身如来が安置され、また境内には多くの石碑が立てられているが、中には文政9年(1826)鎌倉(大本山)光明寺から説教に訪れ大評判を得たという称願(しょうがん)上人の名号碑、また名芸妓と呼ばれるとともに、舞踊や浄瑠璃、常盤津を指導し酒田の芸能の発展に尽くした吾妻屋辰枝、そしてその姪である今咲屋咲江を讃える碑もあるなど、酒田の歴史を語っている。また、本堂内にも明治時代の仏教廃絶運動で捨てられた羽黒山や湯殿山の仏像などが祀られ、文化財の宝庫となっている。
平成7年9月浄土宗新聞より記載
寺院情報
寺院番号 | 06-110 |
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山号 | 悟真山 |
院号 | 光明院 |
寺号 | 善導寺 |
所在地 | 〒998-0027 山形県酒田市北今町7番12号 |
TEL | 0234-22-2656 |
FAX | 0234-22-2656 |