茨城県には“弘経寺(ぐぎょうじ)”と名のつく寺院が3つある。その中でも水海道市にある『飯沼の弘経寺』は、かつての「関東十八檀林(江戸時代の浄土宗僧侶の養成機関)」のひとつとして多くの学僧を世に送り出し、関東の中心寺院として栄えた。
開山は応永二十一年(1414)。良肇(りょうちょう)が横曽根城主の帰依を得て、飯沼村に建立したことに始まる。聖冏(しょうげい)、聖總(しょうそう)の弟子である良肇は、弘経寺を学問の場として教育に専念した。このため、二世の了暁(りょうぎょう)、三世の酉冏(ゆうげい)、愚底、珠琳、存冏など布教に活動的な僧侶を多く世に出している。
天正三年(1575)、九世存把のときには戦禍に遭い、諸堂宇を焼失した。このため一時荒廃したが、十七世紀初頭に了学を招き復興し、再び学問所として発展した。了学は徳川家康・秀忠・家光に厚遇された高僧である。秀忠の長女千姫(天樹院)もこの了学より五重相伝を授けられ、弘経寺の再興に力を尽くした。
現在の本堂はこの千姫の寄進によるもので、堂内には千姫の直筆と伝えられる寺号の扁額が掲げられる。寛永十年(1633)の建立で、創建当時の姿のままの内陣は幕府の威光を今に伝える荘厳さをもつ。本堂前には高さ33メートルの「来迎杉」と呼ばれる巨木もあり、広々とした境内には開山堂ほか、薬師堂、経蔵、鐘楼が配され、静かなたたずまいを見せている。本堂左手には遺言により築かれた、千姫の遺骨の納められる廟所もある。
寺宝には落飾後の千姫の姿を描いた「千姫姿絵」のほか、「袈裟」や「紫龍石硯」など遺愛の品々が納められる。また、その菩提を弔うために孫の姫により写 された「浄土三部経」もある。
弘経寺は東京芝の大本山増上寺の別 院となっており、本堂の裏手には増上寺霊園がある。
浄土宗新聞平成4年5月号より記載
寺院番号 | 11-067 |
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山号 | 寿亀山 |
院号 | 天樹院 |
寺号 | 弘経寺 |
所在地 | 〒303-0041 茨城県常総市豊岡町甲1番地 |
TEL | 0297-24-0895 |