有縁・無縁にかかわらず生きとし生けるすべてのものを供養する寺

今月は江戸の庶民の信仰を集めた東京・両国の回向院を紹介しよう。
明暦3年(1657年)に江戸の町を焦土と化した「明暦の大火(振袖火事)」の犠牲者は10万人。その大半は身もとの分からない人だった。江戸幕府は隅田川の東岸に「万人塚」をもうけ、徳川家の菩提寺の増上寺二十三世・遵誉に命じて無縁仏の冥福を祈る法要を行わせたという。このときに建立された堂宇が回向院のはじまりとなった。

遵誉上人は宗旨に限らず無縁仏の供養を行う寺として、諸宗山無縁寺回向院という名をつけ、以後、回向院に火災、風水害、震災などで犠牲になった無縁仏を葬るならわしになったという。境内には明暦大火災供養塔、安政大地震、関東大震災、海難事故、囚人牢病死者などの供養塔が数多く建てられている。また、回向院で忘れてはならないのが相撲。江戸時代の公共社会事業の資金集めを目的としての勧進相撲の形態がとられていたが、その勧進相撲の中心が回向院となっていた。初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)から、明治42年に旧両国国技館が完成するまでは、春秋2回の興行がおこなわれていた。境内には昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄慰霊の為に建立した巨大な「力塚」があり、新弟子が力を授かるようにと祈願する姿も見られるようになった。

さらに回向院は動物供養の寺としても有名だ。将軍家綱の愛馬の回向をしたことから縁を持ち、以後、多くの鳥獣供養塔が建立され、中でも馬頭観音像は江戸時代より札所巡りの霊場として賑い、現在でも多くの人々の厚い信仰を集めている。
ご本尊は宝永2年(1705年)に安置された銅の阿弥陀如来座像、以前は野外に置かれ、濡仏(ぬれぼとけ)さまと呼ばれていた。現在は近代的な本堂の中に祀られているが、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛にみちており参詣者の心をとらえている。

【交通】JR総武線両国駅から徒歩3分。
(浄土宗新聞平成10年2月号より)

寺院情報
寺院番号 13-251
山号 諸宗山
院号 回向院
寺号 回向院
所在地 〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8‐10
TEL 03-3634-7776
FAX 03-3632-1234
E-Mail
URL http://ekoin.or.jp/