善導寺
〜宝珠がシンボル芭蕉ゆかりの「みの塚」〜

明治初期まで新潟港に入る船の目印となったという本堂いただきの宝珠(ほうじゅ)は、幾度の火災に逢い、代はかわったが今も善導寺のシンボルだ。

寺は天文2年(1533)岌讃(ぎゅうさん)上人によって開かれた。岌讃上人は鎌倉光明寺に学んだ僧で、後奈良天皇に召され「観無量経」仏身観を説いたことから、真光山の勅額、恵心僧都筆の山越弥陀絵図などを賜り、それを持って越後におもむき念仏教化のために寺を建立した。初め新津にあったが、のちに現在の地に移っている。
幾多の火災にあって、そのたびに境内の様子も変わり、今は面影しか残っていないが、その昔、境内には大池があって夫婦の龍が住んでいたという。ある日、夫の龍が村人に捕まったことから時の住職に妻の龍が助けを求め、それを助けたことで打ちでの小槌をもらったという伝えもある。また、その池に祀られていた弁財天(弁天さま)には、港町ならではの花柳界から参詣が多く終日香煙が絶えなかったという。
松尾芭蕉もこの地を訪れている。降っていた雨があがったのであろう、雨よけの蓑(みの)を掛けたという「みの塚」が本堂左側に残っている。そしてその脇には芭蕉を偲んで、だれが建てたか、筆と帳面をもった「筆地蔵」が微笑みかけている。新潟は江戸時代、重要な商業港として幕府の領地となった。大名の支配をうけずに、商人、町民の町として栄えたことから、境内の墓所には武家の規制をうけないさまざまな墓石が並ぶ。普通は大名の墓として庶民には建てることのできない宝篋印塔(ほうきょういんとう)、さらに五輪塔、六角、円柱墓とさながらお墓の博物館のようだ。
平成7年7月浄土宗新聞より記載

寺院情報
寺院番号 17-041
山号 真光山
院号 光明院
寺号 善導寺
所在地 〒951-8061 新潟県新潟市中央区西堀通四番町823番地1
TEL 025-222-5669
FAX 025-222-5669
URL http://www.najiranet.com/9.otera.html.f/0.otera.f.html