当山の創建は、明応3年(1494年)遵連社願譽上人岌應栄海大和尚の開基とされている。上人は信州出身と伝えられ、信州、越後方面より越中に入り、巡錫教化の際、当地に70余坪の堂宇を建立し、厳良上人等を中興として幾多の変遷を経て現在に至っている。
現在の本堂は先住29世生山純堂上人が再建(昭和30年落慶法要)したものである。本尊は木像阿弥陀仏で室町末期の作と伝えられている。寺宝として阿弥陀仏掛軸(鎌倉末期作)、名号掛軸(人皇106代正親天皇宸)が伝えられる。
境内には不動堂、納骨堂、浄土宗遊行僧徳本行者(文化13年8月30日){1816年}越中入の六字名号の石碑があり、更に山門横に大木がある。
不動堂は、大岩不動尊の分身であるとの言い伝え以外、その由来の詳細は不明であるが、当山28世の明進上人の時代(1934年)に、篤信の紙谷春男氏により再建され今日に至っている。
納骨堂は、先代住職の時代(昭和30年代)に境内の無縁墓を整理し、供養のため建立されたものである。山門横の大木は、文久年代(1860年頃)当山23世性譽弁立上人が一念発起し、遠く美作の誕生寺に参詣の際に、誕生寺に由来する二幡の欅の苗木を頂戴し持ち帰り、記念に植樹したものである。
また、江戸時代初期の著述とされる「越中四郡古城跡略記」(京都大学所蔵)には、元和年間に西往寺に寄進される前は、城址(石田城)であったことが記載されている。天正10年、魚津城が織田軍の攻撃を受けた際、上杉景勝はこの石田城に宿泊し、上方に内通した当時の城主(車屋と申す者と記述)を成敗したともある。現在は城跡の面影すらない当山であるが、境内墓地の周囲の市道が、濠跡であったことが、墓地が市道より一段高い地勢からも伺える。(以上、当山30世学誉上人の記述に同31世諦誉が加筆する)
寺院番号 | 18-075 |
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山号 | 生寳山 |
寺号 | 西往寺 |
所在地 | 〒938-0059 富山県黒部市石田6920番地 |
TEL | 0765-54-3492 |