清雲院

【由緒・縁起】
明治5年、新田明細帳に「浄性山庵浄土宗長島光岳寺未」と記されています。
近江島新田を承応3年(1654年)開発したという知多郡森村の住人花井播磨守作介並びに森氏の祖先は平家両名幸田家に属し関が原の戦い(1600年)に出陣敗北し武士を捨て農夫になったという。この花井氏が戦陣のとき小さな観音像を背に帯して戦ったという。

この観音像を近江島新田に小堂を建立し安置し観音堂と称していた。加路戸新田のうち岡村氏(現在長島町)松蔭新田の海に漁に出たとき白坊主が海中より現れ、白坊主曰く、「昔よりこの海中で命を失う人貴賎を不問幾百人とも知れず、汝、願はくばその霊を慰めてくれ」と言い残し消失したと言われています。
このこと数回に及んだと。よって観音堂に参詣し遂に長島光岳寺19世祐道上人に受戒を受け得度し、浄性と改名し以後観音堂を光岳寺の未庵「浄性庵」と称すようになりました。

今の本尊は佐屋(愛西市)黒宮家より奉安されたものです。

明治時代は参詣者の絶えることなく、近郷近在より一願必ず成就するといわれ、祈願する人終日絶えたことがなかった。
特に旧暦7月18日観音の夜は堤防上屋台が並び堤上堤下人でごった返す賑わいであったという。また7月7日から14日まで盆角力があって大賑わいであったという。
昭和2年、福井県小幡より寺号を引継ぎ「清雲院」と改めました。

寺院情報
寺院番号 23-014
山号 浄性山
院号 清雲院
寺号 清雲院
所在地 〒498-0808 三重県桑名郡木曽岬町大字近江島15番地
TEL 0567-68-1370
FAX 0567-68-1370