南尚院

南尚院は、「岌誉上人(聖蓮社岌誉上人露牛和尚。元和8年11月6日寂(西暦1623年)」によって約400年前に開山されました。
津市がまとめた「津市史」などによると、『岌誉上人は武蔵の国(今の埼玉県)の人で、寺院建立の願を立てて伊勢神宮に参り、松阪の寺の住職となった。慶長年間(1596〜1614)の初めに、津城主富田氏(1595〜1608)に現在の地(旧寺町、現寿町)を賜り、地島山天然寺を創建した。』と書かれています。

当院のいい伝えによれば、南尚院は、初めは西来寺(天台真盛宗)の塔中であったが、そこから天然寺塔中に移転したとのことです。
理由は、南尚院の一檀家に葵の紋を許されていた家があり、津城主が南尚院の前を通るときには馬から降りなければならなかったので、城主の通り道から南尚院を移転させたのだということです。
城主が富田氏なのか藤堂氏(1608年以降)なのかははっきりしませんが、両氏とも徳川方であったから、徳川氏と同じの「葵の紋」をはばかったというのは、よくできた話といえるでしょう。
その移転後に、岌誉上人が天然寺塔中内の浄土宗寺院として改めて開山され、隠居寺とされたといい伝えられているのです。
しかし一切の文書などは、明治以降の2度の火事で失われ、わずかに「開山上人名」とその「寂年」を伝えるだけです。江戸時代の記録は全く残されていません。

◎明治の火災以降
明治33年6月24日、天然寺本坊より火災が発生し、隣接した南尚院も類焼しました。わずかに本尊の阿弥陀如来座像のみが運び出されました。
本堂と庫裡は明治の末に再建されましたが、わずか40年後の昭和20年7月28日に、米機B29による焼夷弾の絨毯爆撃により焼失しました。本尊の阿弥陀如来座像と過去帳だけは、当時の住職が直前に裏庭に穴を掘って避難しておいたため無事でした。
いまの本堂は、昭和52年に檀信徒の浄財により再建されました。
墓地:津市観音寺町「偕楽霊苑」内(平井花店[広明町252]前より南へ50メートル)

寺院情報
寺院番号 23-068
山号 地島山
院号 南尚院
寺号 南尚院
所在地 〒514-0015 三重県津市寿町15‐7
TEL 059-227-7518