近鉄伊勢志摩ライナーに乗車して下車した駅は、真珠と観光の町、三重県鳥羽市だ。
この鳥羽駅から真珠のふるさと「ミキモト真珠島」、ジュゴン、ラッコでおなじみの「鳥羽水族館」を左手に見て、鳥羽郵便局を過ぎた所を右折、200メートルほど行くと駐車場があり、つきあたりに見えるのが今回紹介する西念寺だ。鯱(しゃちほこ)がのっている山門をくぐると右手に庫裏、右手前方に本堂、左手に鐘楼や観音堂があり、庫裏や本堂の裏には緑色に茂った木々のある山が控えている。海の青さと木々の緑を兼ね備え、同寺はひっそりとしたたたずまいを見せる。
開山は不詳。誰が建立したのかさえも判らないと言う。元々鳥羽城内の三の丸に建立され、鳥羽藩主内藤氏の菩提寺となっていた。その後、現在の場所に移動。本堂は焼失した記録もなく、当時のままの姿を残している。
延宝8年(1680)、江戸の増上寺(現大本山増上寺)で徳川4代将軍家綱の法要で事件は起こった。当時の鳥羽藩主は内藤和泉守忠勝公。相手は丹後宮津藩主、永井信濃守尚長公でかねてからの犬猿の仲だった。 当日は双方とも警護を命じられていたが、老中筆頭酒井雅楽頭から内藤、永井両家で食事の用意もという指示が出た。先に受け取った永井はこの書状を握りつぶしたため、内藤氏の面目は丸潰れ。赤っ恥をかかされた。
意を決した内藤氏は役目を果たした後、部屋で居眠りをしていた永井に切りかかりとどめを刺した。翌日、内藤氏は切腹。領地は没収、内藤家は3代で断絶。永井家も喧嘩両成敗で土地を没収された。
この事件は「松の廊下」より21年も前におきた元祖とも言える事件で内藤氏は今も同寺に眠る。
西念寺本堂裏の山に当寺の墓地が広がるが、その上にこの内藤3代の墓がある。そこから見える鳥羽の青い海の景色は嫌な人間関係をも忘れさせてくれるような気がした。
平成7年8月浄土宗新聞より記載
寺院番号 | 23-241 |
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山号 | 春曜山 |
院号 | 実相院 |
寺号 | 西念寺 |
所在地 | 〒517-0011 三重県鳥羽市鳥羽四丁目4番19号 |
TEL | 0599-25-2590 |
FAX | 0599-25-2695 |