近江八景・瀬田の夕照で知られ、日本三大名橋の一つでもある瀬田の唐橋は欄干の美しい橋だ。都への要衡としてたびたび歴史の舞台に登場するこの橋の東詰めに、雲住寺はある
雲住寺が開かれたのは応永15年(1408)。初めは天台宗だったが、16世紀中頃に浄土宗となっている。
山門を入ると正面に本堂、そしてその左手に「百足(むかで)供養堂」と書かれた小さな六角堂が目にとまる。実はこれ、寺を開いた時の城主・蒲生高秀から逆上ること14代前の藤原秀郷(俵藤太=たわらとうた)により退治されたむかでの供養堂なのだ。
醍醐天皇の時代、俵藤太は勇名をとどろかした武将だった。あるとき勢多(瀬田)の橋に大蛇が出て往来をさまたげた。狩りの途中、橋を通った秀郷はこれをものともせずにその背中を渡って行く。すると突然、翁が秀郷の前に現れ、「私は橋の下にすむ龍神です。三上山を七巻半もする大むかでが出て、苦しめられています。ぜひ退治していただきたい」と言った。さて、秀郷は三本の矢を用意し、むかで退治に出た。二本の矢は次々に跳ね返された。そこで三本目には自分の唾をつけ、キリリと射ると、矢はついに眉間に突き刺さり、むかでは退治された。
蒲生高秀はこの地に寺を建立したわけで、以来、寺は瀬田の唐橋の守り寺となっている。寺にはむかで退治の縁起を刻んだ版木、また藤太ゆかりの太刀の鍔(つば)や、蕪矢(かぶらや)、鎗鉾先。また近江八景の版木などが残されている。
寺は多彩な行事で1年中、にぎわっている。定例の各年中法要は檀信徒の世話方、尼講、婦人会、年行司が中心となり盛大に。また、婦人会行事や詠唱、子供むけの第二土曜日のサタデースクールやガールスカウト。成人には仏教公開セミナーなどが開かれ、まさにお寺は心の拠り所として開放されている。
【交通】JR東海道線石山駅から草津行きバスで橋本下車。
(浄土宗新聞 平成8年3月号より)
寺院番号 | 28-392 |
---|---|
山号 | 龍光山 |
院号 | 秀郷院 |
寺号 | 雲住寺 |
所在地 | 〒520-2134 滋賀県大津市瀬田2‐1‐8 |
TEL | 077-545-0234 |
FAX | 077-545-4917 |