蓮池院
法然上人に救われた武将 熊谷直実が開いたお寺

法然房源空(法然上人)の旧跡、白河の禅房と称された所が、現在の大本山金戒光明寺。その境内にある三門をくぐり右に向かうと「熊谷堂」と書かれた額のかかる本堂が見えてくる。今月はそのお寺、蓮池院熊谷堂を訪ねよう。
蓮池院は源空上人の弟子となった関東武者の熊谷直実(くまがいなおざね)によって開かれている。
平氏の出身であった直実だが、源平の争いが最も激しいとき、直実は源平の武将としてその名をはせていた。しかし、一ノ谷の合戦で16歳の平敦盛を討つこととなり、同じ平氏の出身でありながら「なぜ」の疑問を持った。
そして、この修羅の世から離れることを決意した直実は、源空上人の門をたたき、建久3年(1192)、法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)と名を改め正式に出家をした。このときに結んだ庵が蓮池院の前進である蒲生庵だ。
蓮池院となったのは寛永5年(1628)のこと。春日の局が熊谷兜池に蓮生にちなみ蓮を植え、蓮生庵を「蓮池院熊谷堂」と改築したことによる。蓮生庵は現在の地より山側にあったが、この時に源空上人の御廟(ごびょう=お墓)に向かい合うように建物が建立された。昭和9年、台風で全壊した後、建てかえられ、現在は向かい合っていないが、「熊谷堂」の扁額だけは今も御廟に向いている。
寺には蓮生自作と伝える蓮生像、敦盛の遺品の母衣に源空上人の姿を描いた「母衣絹(ほろぎぬ)の御影」、また、敦盛が寵愛した姫でその死後出家をした如仏尼の像も敦盛像と並べて祀られており、直実の苦悩とその後の念仏によって得られた安心が今に伝えられている。
承元2年(1208)9月14日、蓮生は予告往生をとげた。9月14日の熊谷忌に参詣されてはいかがだろう。

(浄土宗新聞平成8年9月号より)

寺院情報
寺院番号 29-563
山号 紫雲山
院号 蓮池院
寺号 蓮池院
所在地 〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121番地
TEL 075-771-6717
URL http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/42re06.htm