法然上人は南都遊学に際し後鳥羽天皇の建久2年(1191)春、聖徳太子の御生誕の地である橘寺を御参詣し、その帰路に少林院(現在の法然寺)にお立寄りになり、その地で念仏往生を説き、村人を御化導された。
法然寺法然寺は香久山の南端にあることから、香久山少林院法然寺と称する。
付近一帯は昔、飛鳥朝のあった所であることから至る所に万葉の古跡が多数あり、法然寺の周囲1km以内では、聖徳太子建立の大官大寺跡、日向寺、久米皇子の久米寺、紀寺跡、善光寺如来の豊浦寺などがある。
その当時、法然寺がどのような寺院であったのかという記録はさだかではないが、当時は少林院という紀寺関係の仏堂であったと伝えられている。
法然寺寺伝によると、建久2年(1191)春に、法然上人がこの寺で村人を御化導されてから337年後の後奈良天皇の大永8年(1528)夏、歓蓮社保誉源派上人(知恩院第26代御門跡)が夢の中において法然上人より「香久山の麓の寺はせまけれど、高きみのりを説きて弘めむ」との歌を賜ったことからこの法然寺に御隠栖になり、寺号を法然寺と改めたと記されている。
御本尊である阿弥陀如来は、蓮台からやや足を浮かせている(蓮台と御足の間に僅少の隙間がある)ことから「浮足如来」とも尊称されている。
寺伝によると、この阿弥陀如来はもともと俊乗房重源上人が高野山新別所の念仏堂において不断念仏を修せられていたときに御本尊として安置されいたものであったが、高野山新別所の住僧であった空円上人が夢の中で「香久山の麓に有縁の霊地あり」とのお告げを賜り、この寺に安置されたと記されている。
また、その時に歓蓮社保誉源派上人も京よりこの寺にお着きになっており、空円上人と共に、夢の中での出来事を語り合い、直ちに御本尊の前で別時念仏を修せられたとも記されています。
法然上人が建久2年(1191)に法然寺の全身である少林院にお立寄りになり村人を御化導された際、深く感銘した村人からの懇望により法然上人が遺されたと伝えられている。
中興・開山歓蓮社保誉源派上人(知恩院第26代御門跡)
・ 修正会(1月1日)
・法然上人御忌会(1月24日)
・ 春季彼岸法要(3月)
・施餓鬼会法要(8月6日)
・ 墓施餓鬼会(8月15日)
・秋季彼岸法要(9月)
・ 十夜、仏名会(11、12月)
寺院番号 | 30-091 |
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山号 | 香久山 |
院号 | 少林院 |
寺号 | 法然寺 |
所在地 | 〒634-0022 奈良県橿原市南浦町908番地 |
TEL | 0744-22-3767 |
FAX | 0744-22-8865 |