浄土宗寺院紹介Navi
明治の仏教界を代表する大徳戒誉上人が勝尾寺に小庵を結んでおられたのを篤信の人々が山麓に一宇の建立を進めていた折に、川端康成の祖父、川端三八郎が旧寺領の山林田地の寄進を申し出、当時の豊川村の信徒五千人の勤労奉仕により、明治四十三年四月二十五日、浄土宗紫金山慧光院が創設され、開山戒誉上人、二代鳳瑞上人、三代随厳上人により、慧光流ともいわれた法流を伝持され、徳化に勤めてこられました。 その後、敗戦や災害による混乱もありましたが、昭和四十八年には虚空堂を再建。また大阪茨木霊園を開苑しました。