玄忠寺

永正5年(1508)の創草。(稲場民談)
当初は鳥取城下湯所の高浜地にあったが、3度の類焼で矢野地(材木町)、寺西地(西町)、玄忠寺横町(玄好町)に転地。玄好町時代の当寺は、袋川(鳥取藩輸送の拠点)と矢弦堀の接地点の中島に建立され、湖上に浮かぶ法城の風情を呈しており、第7代住職の休波上人に私淑した藩詩人・伊藤丈庵が「玄忠寺八景」「僧の観経を談ずるを聴く」などを詩っている。
休波上人は、祐天上人の伯父で祐天の出家をもたらした人。そして休波上人を慕って来寺し染筆した祐天上人の名号が残っている。
万治3年(1660)の類焼によって、鳥取の西玄関現在地に転地された。その後寛政12年(1800)に類焼し、5年後の文化2年に現在の本堂・山門・鐘楼が続いて建立。庫裡は八頭郡河原町徳吉の大庄屋松尾某の家屋(鴟尾に天明8年の銘あり、それ以前はワラ葺)を茶町の富豪、竹内藤右ヱ門が事情(鳥取市誌)により玄忠寺に移築寄贈。昭和60年、庫裡100坪のうち半分を改築、半分を修復、寺務所鉄筋40坪、他30坪を増改築。また「中本寺」の木印が所蔵されている。

寺院情報
寺院番号 34-007
山号 大唐大巖深心山
院号 九品院
寺号 玄忠寺
所在地 〒680-0812 鳥取県鳥取市新品治町77番地
TEL 0857-22-5294
FAX 0857-22-1059