大蓮寺

打吹城址に東接する華【ゲ】到【ドウ】(巷称は外道)山麓は“法界門”の小字、“寺山”“寺屋敷”と名残るあたりに草創。養老年間(717−723A.D.)に創建の巌城は見日千軒の興教院と南北に対峙した古刹である。
小鴨の奔流は洪水の度に北遷し見日千軒を潰滅した反面、南部に沖積地を造成したので武将山名は田内から打吹に居城を移し山裾に陣屋を構え外郭に町屋を並べ居住区を用水路玉川で区切った。その頃の郊外で北に拡がる入江の面影を残し“濱の松”の林立するところ、城山に正面し向山を借景に移建。時に永禄か。移築開山の文翁の西化を天正19年7月4日と墓に刻しているが“延享の大火”で倉吉は全滅、当山も祝融を受け寛保以前は定かではない。“エエモンがほしい”とおやつをねだる童に親は“エエモンは大蓮寺にある”と応えたという。その山門は地名にも現存。京都大学梅原末治博士が“この門で威容を偲べる”といった倉吉最初の葺瓦本堂は昭和17年解体したが、昭和30年に倉吉最初の鉄筋混凝土建築・近畿以西最初鉄筋コンクリート造営の“赤蓮華僧伽藍”再建。草生期の成徳小学校や倉吉西高等学校が当寺を教場とし、旧制倉吉中学校(倉東高)創立の期成事務もここで執るなど文教に関与した寺歴があり、歴住に風騒の人も少くない。

寺院情報
寺院番号 34-033
山号 法界山
院号 華到院
寺号 大蓮寺
所在地 〒682-0861 鳥取県倉吉市新町一丁目2411番地
TEL 0858-22-3393
FAX 0858-22-1942