明治初期より夜見説教所として存し、昭和22年4月に知恩院末として伊藤麟雄上人が開山。
当院のご本尊は上品上生弥陀如来と申す。宝歴年間大森家三代と思考される、森六郎右衛門なる者、日頃浄土の信仰深く、朝夕に念佛励みおりたり、ある夜の事、凡そ常ならざる老僧枕辺に立ち「われは弥陀の化身なり、われは今、灘町喜和助なる者に逗留しているが此の地に来る因縁なれば迎えに来よ」と告げらる。六郎右衛門思うに、われ常々御本尊のなきを淋しく思いおりたるそのために、かかる夢を見しならんかと、合点をなしが、三夜に続いて同じお告げを受けたるため、発起し事の真なるか確めんとて米子にでかけたり、たづぬれば米子灘町に喜和助なる人あり。松江藩の浪人にて内町後藤家の縁者にして後藤家の食客となりたる者の由、浄土宗の信者にて念佛怠りなし。或る年の夏、沖合に夜になると必らず怪光を放つものが生じ、魚は遠く帰りて姿なく、漁師恐れて舟出さず、ために日々の暮に困る有様と成りたり、されば勇ある者にて決死隊を作り舟を出し、光物を中心に網を入れ引揚げみんとつとむれど、それらしき塊り、水面より上がらない、水面に近ずけば網を破りて海底に没す、繰返せども網を損するのみ、自慢の力も効なく、漁師共いよいよ恐れ戦き、喜和助の徳に縋って来たれり。請われるまま喜和助、弥陀のお救い信じつつ南無阿弥陀佛と称えれば、力入れずもするすると網は舟中に、喜和助の抱きあげたるは如来像なり。多くの者して上らざるにお前様一人でお上りなされしは、お前様の所に行きたえとぞ申されしに相違なし、皆口を揃て驚き入りたり、食客の身にてはと思案もせしが大方の奨にしたがい、土間に臼を逆になしてその上に安置しますますお念佛を励みたり海はもとの静けさとなり日々豊漁の賑いで、喜和助の徳波を打ちて弘まれり。かくして数日後、喜和助夢諭しを受けたり、枕辺に神々しき老僧「われは汝に揚げられし弥陀の化身なり、宿縁ありて夜見に行く身である、六郎右衛門なる者、われを迎えに来るにより渡すべし」と申さるる、然も三夜に続けり、不思議不思議と思い居りしに今「私は夜見の森六郎右衛門と云いますが」との案内に、喜和助思はず飛出し手を取りて、皆まで云はせず内に招じたり、互に佛縁を語り合い時を忘れて旧知の如くなせり。夜見に帰りし六郎右衛門村中若衆を集め、揃鉢巻半纏で筏に金紫の大布団、上に弥陀像頂いて、称名念佛高らかに賑やかにぞ、お迎え申したるなり、我堂に奉じ念佛益々励みたりとぞ伝えられる。この佛出世佛と讃えられ人々の信仰をうけてきた。
寺院番号 | 34-039 |
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山号 | 紫雲山 |
院号 | 迎接院 |
寺号 | 迎接院 |
所在地 | 〒683-0851 鳥取県米子市夜見町2606番地 |
TEL | 0859-29-0809 |
FAX | 0859-29-0809 |
URL | https://kousyouin.com |