光祐寺

「境港沿革史」の「浄土宗心龍山光祐寺略縁起」によると、寛永12年(1635)報誉上人の開山にして、総本山知恩院より嘉号を賜り、寛文8年(1668)、2世貞誉上人が生蓮寺跡に堂宇を創建したという。
当地には、往古、延盛山薬師寺という大寺があり、文安4年(1447)の大火災に遭ったが、薬師如来と毘沙門天〔運慶作:新浄土宗辞典“光祐寺”の項に所載〕の両尊像は残ったので、光祐寺境内に安置された。
当山は、明和5年(1768)の火災によって、什物、旧記等をことごとく焼失したが、この両尊像は再び救出されて、安永9年(1780)の再建の際には、再度境内に奉安された。開山堂に安置されていた阿弥陀如来は、中野の正福寺建立の際、余子・八幡両社の草庵に送り奉ったものであるといわれる。その後、昭和10年の境大火、同20年の玉栄丸爆発事故で類焼したため、同32年松ケ枝町から現在地に移転し、同53年本堂を新築した。なお、文政年間(1818〜30)当村の儒医横田朗作の諷誦文は名文として知られ、他寺の僧も来て、乞うて写す者が多かったという。また、みそなめ地蔵祭は境の大祭といわれ、現在もうけつがれている。さらに、当寺付属の夜見説教所は昭和22年紫雲山迎接院来光寺と号して独立した。

寺院情報
寺院番号 34-040
山号 心龍山
寺号 光祐寺
所在地 〒684-0021 鳥取県境港市馬場崎町126
TEL 0859-42-2772
FAX 0859-42-2455