禿翁寺

禿翁寺の開基は慶長年間(慶長10(1606)年頃)で、高僧、紀州光恩寺の開山、信誉禿翁上人です。その後、元和5(1620)年浅野長晟公が紀州和歌山から広島へ転封となった際、禿翁上人の弟子、寂誉存的上人が紀州田中の禿翁寺を移し、当寺が起立しました。
本尊、安阿弥作と伝わる阿弥陀三尊立像は開山当時からのもので、室町期の作として広島市の重要文化財に指定されています。
境内には、浅野藩重臣、寺西将監利之の妻である仙石幾佐(長性院殿)の墳墓があります。長性院殿は賢夫人の誉れ高く、また浄土の信仰厚く、檀越として当寺の興隆に尽くしました。
 開山以来盛衰を重ね、昭和20年(1945年)8月6日の原爆では、爆心より1.5㎞で、本堂・閻魔堂・庫裡等悉く焼失しましたが、本尊・過去帳などは疎開により焼失を免れました。
阿弥陀仏座像など境内の石仏はどれも被爆しましたが、六地蔵尊は一体が崩壊し、一体はひび割れるなど原爆の威力を今に伝えています。また、境内の紅梅・カエデなどが被爆樹木で、広島市の指定を受けています。

行事・儀式・習い事
  • 別時会
参拝・拝観用駐車場
  • 普通車:3台
  • あり
寺院情報
寺院番号 38-065
山号 寂静山
院号 専稱院
寺号 禿翁寺
所在地 〒730-0004 広島県広島市中区東白島町8番8号