蓮家寺

JR水郡線の盤城棚倉(いわきたなぐら)駅の西に、ひときわ目を引く“大けやき”がある。入口には2層の屋根の間に回廊を持つ山門が古色も美しくたたずむ。安永4年(1775)の建立で、当時は紅殻(べんがら)塗りだったというから、今とはまた違う美しさであったことだろう。

寺は慶長8年(1603)、この地を支配した徳川家康の代官彦坂小刑部の家臣念仏信者の蓮池主水と糟家彌兵衛が、この地に浄土宗の寺がないことから、塙の僧秀哲上人を招き精舍を建立したことに始まる。初めは阿弥陀寺と言ったが、間もなく開創の施主両氏の一字ずつをとり、蓮家寺となった。その後は、棚倉城主となった内藤豊前守信照を筆頭に内藤家が厚く守り、また徳川家光以後、7代の将軍からの庇護をうけ江戸時代には三門、本堂、鐘楼、観音堂、常念佛堂、十王堂、地蔵堂の伽藍が整う壮大な寺院となり、棚倉城下の中心寺院となった。

江戸中期以降、幕府や藩の衰退とともに諸堂の維持も困難となったが、新田を開発し、自力で御朱印寺院の格式を保った。戊辰戦争の時、官軍に敗北した賊軍の地の廃仏毀釈、明治新政府による寺領の没収、さらに明治23年(1890)1月の火災により、本堂、観音堂、庫裡が焼失と、数々の苦難の時代もあったが、その度に寺檀一体の努力により見事に復興し、現在までこの地に念仏信仰の灯をともし続けている。寺には数々の史跡があるが蓮家寺を物語るに忘れてはならないものに、4基の「常念佛回向碑」がある。
(「常念仏」とは日時を定め間断なく念仏を称えることを言い、この達成を記念して建立されるのが「回向碑」である。)

蓮家寺では元禄6年(1693)から文化5年(1808)までの115年間、4万日にわたり常念仏が行われ、その1万日達成ごとに碑が建立され現存する。4基の形は同じだが、4万、3万、2万、1万日と古くなるにしたがい角が取れ、丸みをおびている姿に、極楽往生を願う人々のあつい信仰の歴史を感じさせ、今ではかけがえのない宝となっている。また、350年前から現在に至るまで午前11時に打ち鳴らされる梵鐘は、国の重要美術品。当時この鐘は常念仏の終わりを告げていたが、早朝から労働を課せられていた農民への昼飯時刻を知らせる響きでもあった。

260年前、旅の僧の発願と民衆の喜捨により建立された露座の青銅大仏の静かな微笑み、緑の深い境内、赤い屋根の観音堂、響きわたる念仏の声、蓮家寺は人々の心のよりどころとしての長い歴史を今に刻んでいる。

【開山上人】:秀哲上人
【開 山 年】:慶長8年(1603)
【御本尊様】:阿弥陀如来三尊仏立像(仁治2年(1241)の仏様)
【年中行事】:修正会、御忌会、施餓鬼会、蓮家寺通り門前市、除夜会
【指定文化財】:銅鐘(国指定重要文化財)、蓮家寺山門(町指定文化財)、蓮家寺の大けやき(県指定緑の文化財)
【事業活動】:外国人のための日本語教室
【 交 通 】:JR白河駅・新白河駅からJRバス盤城棚倉行きで新町(あらまち)下車。

寺院情報
寺院番号 08-074
山号 大泉山
院号 寶池院
寺号 蓮家寺
所在地 〒963-6131 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字新町129番地
TEL 0247-33-2344
FAX 0247-33-2379