大信寺
篠塚伊賀守重広の菩提寺 地域の人へ開放した寺

大信寺は南北朝の動乱を描いた『太平記』に数多く登場する武将、篠塚伊賀守重広の菩提寺だ。

この地に生まれた重広は、新田義貞の鎌倉攻めで勇名をとどろかすなど、新田四天王の筆頭に数えられる。没したのは福岡県の朝倉町だが、寺にはその供養塔の宝簾印塔(ほうきょういんとう)が祀られ「大信寺殿智證大禅定門」と戒名が刻まれている。また、脇には瀬戸内海の島から一時関東に帰還した証拠ともなっている「碇石(いかりいし)」の複製(実物は茨城県波崎町)や篠塚伊賀局(つぼね)の歌碑も建てられている。大信寺の開創は日光の輪王寺を開いた勝道上人で、760年ころ(天平宝字年間)に大伽藍を建立し光善精舎と名づけている。弘法大師も勝道上人の足跡をたずね、ここで薬師如来を彫っておさめたというがその後に衰退、1335年ごろ(建武年間)に篠塚伊賀守が復興し大信寺と改称、江戸時代初期に白誉万覚上人が浄土宗に改宗している。

そんな歴史のある寺だが、現岡田住職は檀信徒をはじめ地域の人に開かれた寺をつくろうと努力を重ね、本堂、境内にはさまざまなアイデアがあふれている。特に昭和63年に落慶した本堂は、法要を営む一段高くなった内陣(ないじん)と檀信徒が座る椅子席の外陣(げじん)との区切りに鍛帳(どんちょう)を設け、仏具を移動すると内陣がステージに早がわりして、篠塚伊賀守重広の菩提寺地域の人へ開放した寺。今までにも群馬交響楽団の演奏やカラオケ大会、演劇など多彩な行事が行われている。また本堂入口には6本のステンレスパイプで美しい音をかなでる荘厳具を備え、その上部には住職自作の龍の絵を祀り、手を打つとセンサーが感知して「龍の声」が流れる趣向がこらされている。

境内の諸堂、仏像、記念碑なども、それぞれにアイデアが施され、自然と信仰の気持ちが高まっていくのは、みごととしか言いようがない。多目的に使えるようになっている。

大信寺へは
【交通】東武伊勢崎線館林駅で小泉線乗換、篠塚駅下車徒歩3分ほど
(浄土宗新聞平成7年3月号より)

寺院情報
寺院番号 09-072
山号 霊松山
院号 正定院
寺号 大信寺
所在地 〒370-0615 群馬県邑楽郡邑楽町大字篠塚3999番地の2
TEL 0276-88-2062
FAX 0276-88-2381
E-Mail
URL http://www.daishinji.net/