浄閑寺
−悲哀を語る総霊塔―文豪荷風が愛した寺

東京の下町、三ノ輪は人情の厚い町である。その町にある浄閑寺は開基が明暦元年(1665)、江戸時代から人々を念仏で救ってきた。
寺には悲しい歴史がある。明暦の大火(1657)の後、新たにできた遊廓、新吉原に働く女性たちが、たまたま近くにあったこの寺に犬猫のように捨てられたというのである。
遊郭に身売りされた女性は戸籍も抹消されたうえ酷使、病気になっても看病をうけることもなく、身元もわからず死んでいったという。葬られた数は昭和33年に新吉原が廃止されるまでに、2万5千霊(遊廓の関係者、安政・大正の震災の羅災者なども含む)にのぼったという。昔は夜間にそっと門前に置かれていったというから、俗に「投げ込み寺」とも「供養寺」とも呼ばれていた。
現在はその霊を弔う新吉原総霊塔がたてられ、線香が絶えることがないという。
明治になって浄閑寺に文豪の永井荷風が訪れている。荷風は浄閑寺近辺をこよなく愛し、付近の情景を日記や作品に残している。初めて訪れたのは明治31、2年のころと推測され、「里の今昔」の一節にその記述がみられる。その後、暫く足が遠のいていたが、昭和に入り荷風が作品の取材のためによく寺を訪れたという。荷風の没後、昭和38年には仲間の文学者らが集まり、荷風の文学碑がたてられ、以後、毎年4月には荷風忌が盛大に行われている。
その他にも、落語家三遊亭歌笑の記念塚、侠客濡髪長五郎の墓や新比翼塚などの記念碑があり、江戸・明治の歴史を語るには無くてはならない寺となっている。

浄土宗新聞平成5年3月号より記載

寺院情報
寺院番号 13-345
山号 榮法山
院号 清光院
寺号 浄閑寺
所在地 〒116-0003 東京都荒川区南千住2丁目1番12号
TEL 03-3801-6870
FAX 03-3802-1849
URL http://www.jyokanji.com/