大阿弥陀経寺
盧山白蓮社を模す〜浄土宗僧侶蓮社号発祥の寺〜

大阿弥陀経寺(山田俊明住職)を開く澄円(ちょうえん)菩薩は仏教に精通し、天台宗を学んだ後に、浄土宗の教えを学んでいる。正中二年(1325)には浄土教の源流を求めて中国(元)に渡り廬山(ろざん=江西省)の東林寺において中国浄土教の祖である廬山慧遠(えおん)が念仏修行のために結んだ結社である白蓮社(びゃくれんじゃ)の流れに学んだ。そして、帰国後の元徳二年(1330)故郷である泉州堺浜に、旭蓮社(ぎょくれんじゃ)と名づけ廬山の寺に模した寺を草創した。これが大阿弥陀経寺の開創となっている。
現在浄土宗僧侶の戒名には○蓮社という文字がつくが、この初めとなったのがこの寺ということになる。
大阿弥陀経寺の寺名は、康永元年(1342)にはやった疫病の平癒の勅願に功があったことで、光明天皇から「勅願所大阿弥陀経寺」の号を賜ったことによっている。
境内には大きな蓮池があり夏には清楚な蓮華が咲き乱れる。廬山の白蓮社は白い蓮が咲き乱れていたことから名づけられたもので、その流れをくむ同寺に蓮池が再現されたものといえる。十一世智誉上人の代には廬山東林寺の火災をこの水面で発見、法水をそそいで火災を消滅させたなど逸話も多く残されている。
寺はその後、いくどか衰退し存亡の危機を迎えたが、なかでも明治四年には、土地が国有となり、大阪裁判所堺支庁となって本堂や庫裏などがその庁舎となっている。明治二十六年、檀信徒の努力により払いさげられ、後に総本山知恩院第八十世となる岩井智海師(同寺三十七世)の努力によりその昔の姿を取り戻している。
太平洋戦争で丈六の本尊阿弥陀如来を始め、ほとんどのお堂は焼かれ、わずかに江戸後期の建築といわれ、空海作と伝える毘沙門(びしゃもん)像を祀る毘沙門堂のみが戦災を免れている。現在の本堂、庫裏、山門は戦後、前住職が復興したもの。
浄土宗新聞平成6年11月号より記載

寺院情報
寺院番号 32-349
山号 甘露山
寺号 大阿弥陀経寺
所在地 〒590-0962 大阪府堺市堺区寺地町東四丁1番14号
TEL 072-232-6140
FAX 072-232-6140