浄土寺
松平忠直公も眠る〜大分の名刹〜

大分市の浄土寺といえば、徳川家康の孫である越前宰相松平忠直公(号=一伯)の墓所として知られている。
忠直公は、大坂夏の陣で真田幸村の首級をあげ、また大坂城西大手門一番乗りをし、家康から殊勲第一といわれた武将だが、家康死後の論賞で2代将軍秀忠から何の沙汰もなかったことから宗家対する不満をいだき、そのことから大分に配流になった。浄土寺と忠直公の関係は、配流後荒(すさ)んだ生活をしていた公が、愛妾お蘭の方の死に遇い浄土寺に葬ったが、その折10代住職の信誉上人と親交を結びその学徳に感化されて弥陀信仰の人となったことにある。
同寺にはこの忠直公とお蘭の方が葬られたご廟と墓碑があるほか、公を荼毘(だび)に附した火葬石と火葬松(3代目)、また公の遺品などが残されている。この浄土寺は、文亀元年(1501)、当時の豊後国主であった大友親治が開基となり、近江の国から巡錫(じゅんしゃく)した満誉覚了上人が開山となって創建された名刹(めいさつ)である。豊臣秀吉の九州征伐の折の兵火で、また江戸時代中期には付近の大火で全焼、現在の12間4面の本堂は喜永2年(1849)に建てられている。本尊の阿陀如来は恵心僧都の作と伝えられている。また同寺には、堂内に諸病平癒に霊験あらたかな賓頭盧尊者像をはじめ、境内に釈迦如来、子育地蔵、慈母観音などの像があり、多くの人から信仰を集めている。

浄土宗新聞平成2年9月号より記載

寺院情報
寺院番号 46-031
山号 見仏山
院号 西巌院
寺号 浄土寺
所在地 〒870-0008 大分県大分市王子西町8‐35
TEL 097-532-3534
FAX 097-532-3542